PROGRAMME NOTES
田辺秀樹
冬の旅 D. 911

歌曲集《冬の旅》は1827年、30歳のシューベルトによって作曲された。死の前年ということになる。あまりにも早い晩年の作品である。
詩の作者は、4年前に作曲した歌曲集《美しき水車小屋の娘》と同じヴィルヘルム・ミュラー。ミュラーは1794年、ドイツ東部の町デッサウに靴屋の子として生まれ、ベルリン大学で古典文献学を学んだ。高校教師や図書館司書を務めるかたわら、ドイツ各地やイタリアを旅して回り、自然や漂白を歌った民謡風の詩を数多く書いた。《冬の旅》を書いたのは28歳の1822年。シューベルトがそれに付曲した1827年、詩人は33歳で世を去った。詩人も短命の人だったのだ。
24曲からなる《冬の旅》の世界は、救いようもなく陰鬱で暗い。そこに描かれているのは、ひとりの孤独な男の姿だ。恋に破れた(というよりは、愛を失った、というべきか)主人公は、傷心の思いを胸に、寒々とした冬の風景の中をさまよい歩く。彼はどこへ行っても、「よそ者として来て、よそ者として去っていく」(第1曲「おやすみ」)ばかりだ。安らぎを求めて得られない主人公の苦悩に終わりはなく、絶望は底知れず深い。
《美しき水車小屋の娘》も失恋する若者の物語ではあった。しかしあそこには、少なくともその前半には、恋の喜びと希望が満ちあふれていた。後半の失恋の悲しみにしても、一抹の甘い感傷が入り込む余地があった。《冬の旅》は違う。第1曲ですぐに明らかにされるように、ここでは愛はあらかじめ失われてしまっている。愛はもっぱら苦い思い出として、なおも身を焦がす未練の苦しみとして、鬱々と語られるばかりだ。
主人公の傷ついた心は、荒涼とした冬景色のさまざまな情景に、きわめて印象的に映し出されている。風にもてあそばれる「風見」(第2曲)、冷気に「凍った涙」(第3曲)、不気味にさし招く「鬼火」(第9曲)、あとについて離れようとしない不吉な「からす」(第15曲)、行き倒れを指し示すかのような道ばたの「道しるべ」(第20曲)、そして村はずれでライアー(自動オルガン)のハンドルを回す年老いた「ライアー回し」(第24曲)。どのイメージも限りなく暗く、しかもぞっとさせるような鮮烈さを持っている。
とはいえ、歌曲集《冬の旅》は、ミュラーの詩の極端な陰鬱さにもかかわらず、決してただ暗いだけのモノトーンな世界ではない。それになんといっても、シューベルトの音楽の豊かな楽想と繊細なニュアンスによるものだ。暗澹たる内容の短調の曲においても、しばしば途中で長調へのさりげない、しかもこの上なく精妙な転調が行なわれ、重苦しい気分の中にほのかな明るさがもたらされる。とりわけ「菩提樹」(第5曲)、「春の夢」(第11曲)、「郵便馬車」(第13曲)といった曲では、ほんのつかの間とはいえ、かつての幸福と喜びの感覚がよみがえる。それらは、すぐに消え失せてしまうはかないものであるだけに、その一瞬の輝きがいっそう際立ち、聴く者に痛切な感銘を与えずにはおかないのだ。
1. おやすみ
愛を失った男は失意のうちに旅立つ。「よそ者」として来て、また「よそ者」として去る男の寄る辺なさが、淡々とした悲哀のトーンで歌われる。失恋の理由は明かされていない。
2. 風見
風にもてあそばれる風見の旗を見ながら、男は心変わりした恋人の不実を恨む。気まぐれに向きを変える風見のある家に住む娘に、誠の心を求めた私が馬鹿だったのだ・・・・・・。
3. 凍った涙
男の頬の上を凍った涙が転がり落ちる。冬の氷のありったけを解かすほど熱い胸の泉から湧き出した涙なのに・・・。音の少ない簡素なピアノ伴奏が、悲哀の情感をいっそう深めている。
4. 硬い大地
今は硬く凍り付いた大地も、かつては男が娘と楽しい時を過ごした緑野だったのだ。失われた恋人への切ない未練の思いが、三連音符を繰り返す印象的なピアノ伴奏で歌われる。
5. 菩提樹
ピアノの前奏が、そよ風に揺れる菩提樹の葉のざわめきを描写し始めると、痛切な憧れに満ちた甘美な郷愁が堰を切ったようにあふれ出る。限りなく美しい愛の思い出の歌。
6. 雪解け水(あふれる涙)
雪の上にとめどなく落ちる涙は、春になれば解けて小川となり、恋人だった娘の住むあの家へと流れて行くだろう。抑制のきいた簡素な旋律のなかに、悲哀が美しく結晶している。
7. 川の上にただずんで
男は凍り付いた川の上にたたずむ。かつては楽しげに流れていた川が、今では死んだように静まり返っている。葬送曲風の旋律と頻繁な転調が、男の虚ろな心を浮かび上がらせる。
8. 振り返る
男は忌まわしい思い出の残る町から、できるだけ早く立ち去ろうとする。しかし、未練を断ち切るのは容易ではない。男の引き裂かれた思いを、苛立つような歌と伴奏が描写する。
9. 鬼火
鬼火に誘われて男は深い谷間に迷い込む。慌てることはない。どんな川もやがて海に流れ込むように、男の苦しみもやがて墓に入るのだ。簡素な曲が不気味な効果をあげている。
10. 休息
ひたすら歩き続けた男は、休もうと横になって初めて疲労の大きさに気づく。傷ついた心は、静止するとかえって痛みを覚えるのだ。重い足取りで地を這うようなピアノが印象的。
11. 春の夢
『冬の旅』の中で数少ない明るい響きを持つ曲。曲は明朗な前奏で始まり、男は心浮き立つ春の夢を見る。しかしそれはほんの束の間。目覚めれば再び暗鬱たる現実に引き戻される。
12. 孤独
空を漂う雲のように、孤独な男は歩き続ける。みじめな男には、穏やかな空も明るい世の中も厭わしい。淡々とした前半と慟哭するような後半とが鮮烈なコントラストを生んでいる。
13. 郵便馬車
郵便馬車のラッパが聞こえると、男の心は騒ぐ。あの町から来た馬車は、またぞろあの重苦しい思い出を呼び覚ますのだ。ラッパの音を表す軽快な伴奏で始まる、未練の胸騒ぎの歌。
14. 霜おく髪
髪に霜がおりて白髪のようになった。男は早く老いることを願うが、霜はすぐに解け、自分の若さ——今やうとましいばかりの若さを思い知らされる。暗澹たる気分が曲全体を覆う。
15. からす
一羽のからすがずっと男のあとをついてくる。行き倒れになったら餌食にするつもりか。それなら、墓場までついてくるがいい。深い悲哀の中にも一抹の安息が感じられる美しい曲。
16. 最後の望み
風に震える木の葉に男は最後の望みを託す。木の葉が落ちれば、望みも消える。そして希望の墓の上で涙するのだ。伴奏のピアノが前奏と後奏で寒々とした情景を鮮烈に描き出す。
17. 村にて
夜の村の情景。人々は眠りをむさぼり、好き勝手な夢を見ている。しかし不幸な男は、そんな儚い夢を見ることさえかなわないのだ。犬の吠え声を模したピアノの音型が印象的。
18. 嵐の朝
荒れ模様で明けた嵐の朝。心破れた男には、こんな朝こそ好ましい。それは彼の心象風景そのものだからだ。歌とピアノのユニゾンによる力強い曲が、男の心の悲壮感を物語る。
19. 惑わし
奇妙な光が男を差し招く。疲れた旅人をたぶらかす幻惑だとわかっていながら、男はそれについてゆかずにはいられない。曲はうわべこそ明るいが、苦いアイロニーを含んでいる。
20. 道しるべ
男は旅人の行き交う道を避け、雪積もる岩山の裏道をたどる。道しるべに背を向けながら安息を求めてさまよう因果な運命。悲哀を含んで淡々と進む曲が、絶望の深さを映し出す。
21. 宿
行き着いた先は墓場。男はこの「宿」に泊まろうとする。しかし空き部屋はない。疲れ果てた旅人は、ここでも安息を得られず、先へ進むしかない。宗教的情感を湛えた美しい曲。
22. から元気
絶望の果てに、男はなお勇気を奮い起こそうとする。泣きごとは言うまい。陽気な歌を歌おう。しかし所詮、それはやけっぱちのから元気でしかないのだ。
23. 幻日
男は、太陽が三つに見える冬の自然現象である「幻日」を見る。三つのうち大好きな二つ(娘の両眼?)は沈んでしまった。残りの一つも早く沈むがいい。深い悲哀を湛えた歌。
24. ライアー回し(辻音楽師)
男の視線は、町はずれでライアー(手でハンドルを回して音を出す自動オルガン)を回す落ちぶれた老人の姿に釘付けとなる。「ぼくの歌にあわせてライアーを回してくれるかい」という呼びかけで終わるこの最後の曲は、シューベルト歌曲の、いや、あらゆるドイツ歌曲の極北を指し示している。
☆東京オペラシティ文化財団 主催公演プログラムより転載
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